ピコアン音楽史

小学校1、2年

「ビートたけしの元気がでるテレビ」で

半漁人が池に帰って行くシーンに

戦場のメリークリスマスがBGMにかかってた。

その時は何の曲か分からなかったけどいい曲だと思った。



小学校3、4年 大嫌いなマラソンの練習でスピーカーから

音楽が鳴らされている間ずっと、校庭を何周も走らされた。

その時の曲がライディーンだったのでYMOを知るまでは、

ただの不快な思い出の曲になっていた。

今思うと、散解コンサートの音源だったような気がする。

小学校で渋いよな・・・


小学校5年~中学校1年

押し入れの奥から

クラッシク名曲全集のレコードを発見し、只管はまる。

初めて買ったCDはドボルザークの「新世界より」。

歌つき、ピアノの独奏曲には興味が沸かずオーケストラが好み。

<気に入った曲>田園1、3楽章/ボレロ/カルメン終幕/チゴイネルワイゼン/惑星、木星/禿山の一夜/白鳥の湖/ウイリアム・テル/ハンガリー舞曲5番などなど



中学校2、3年 

クラッシクの延長で映画音楽(インスト)を聞くようになる。

<一例>インディージョーンズ/グレムリン/スターウォーズ/バットマンとか

高校1、2年 小さい頃、気になっていた曲の題名がが坂本龍一の戦メリと判明。

レンタルをし、改めて聞いて感動。

それ以来教授とYMOとその関連を総ざらい聞く。

高校2年正月 お年玉でヤマハのキーボードPSRを一万円で購入。

戦めりの楽譜、YMOのバンドスコアを買ってきて

指がちぎれるほど弾きまっくて夢中で練習。



高校3年秋

 文化祭で友達とセッションでライディーン、テクノポリスを披露。

前日、眠れないほど興奮し、

当日初めての人前での演奏に超緊張。

終わった後の拍手と達成感が忘れられない。

また、いつの日か人前で演奏したいと夢みる。



高校3年冬 

寂しい一人レコーディング開始。すべてYMOの曲。

まずカセットレコーダーに

キーボードーに内蔵のリズムに合わして1パート弾き録音。

それをコンポで再生させると同時に別のパートを弾き、

それをレコーダーで2個めのカセッとに録音。

カセットを入れ替えてもう1パート録音し完成。

とっても時間がかかる

(間違えると頭から弾き直し、音量バランスも難)

アナログ式レコーディングだけど

曲が出来上がっていくのが面白くて夢中になった。



短大1年春

パソコン購入。

付いていた子ども向け音楽ソフト「ドレミキャンパス」で初めての作曲。

コピー詩化したことないので作曲なんて出来るわけない

と思っていたんで、かなり思い切った事であった。

このソフトは楽器のマークを任意の場所に並べていく単純なもの。



短大1年秋~

 ヤマハCS1シンセサイザー(DTMセット)を購入。

シーケンスソフトの使い方が理解出来ず数ヶ月放置。

その後克服?し、本格的作曲活動開始。

しかし、お披露目する場所がなく、

せっかく作った曲も自分で聞くしかなかった。



21歳夏(2000/8/13)

多くの人に自分の曲を聞いてもらおうと、念願のホームページ完成。

ピコピコ安全県ついにインディーズシーンに登場!! 


テクノポップ☆ピコピコ安全県

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